中国を語る
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嶺南紀行:中国華南の旅


旧知今子とともに中国嶺南地方を旅せんと欲す。香港より深セン、澳門を周遊せんとするなり。これに広州を加へたらんには嶺南の主要都市を踏破すべしといへど、各旅行会社のツァー・プランに適合するものを見ることなし。よって、上記三都市を周遊することとせしなり。成田より飛行機にて香港に至り、そこより陸路深センに至り、深線より海路澳門に至り、再び船に乗りて香港に戻るといふプランなり。旅程は四泊五日なり。

いふまでもなく、香港は一九九七年、澳門は一九九九年に、それぞれ旧宗主国たる英国、葡萄牙国より中国に返還せられたり。双方とも返還の条件に、向後五〇年間は従前の制度を適用すべしとの合意あり。すなわち一国二制度なり。そのため、香港、澳門とも一般の中国領土とは異なる制度適用せられ、中国の領土にしてなお中国ならざるところあり、相互の往来も通関手続きを要するなり。また、従来香港、澳門に居住せる中国人は、新たに中国国籍を取得したるほか、引き続き英国、葡萄牙国の国籍も有するなり。

深センはケ小平の改革開放路線の落胤の如き都市なり。一九八〇年にケ小平経済特区に指定せし折には、人口三万人の小村なりしが、その後僅か三〇年の間に人口千八百万人の一大都市に成長せり。今や中国の発展を象徴する都市といふべし。

三都市それぞれに発展の経緯を異にし、風情自づから異なれり。旅情もまた相異なるものあるべし。いづれの都市も余にとりては初見なれば、とりあへずは、街の雰囲気なりとも堪能すべしとは思ふなり。

嶺南とは五嶺即ち南嶺山脈の南といふ意にて、広東、広西両省の古名なり。華南といふに近けれど、歴史を背景にして、一部重ならざるところもありといふ。かの蘇軾がこの地に流されたるときには、中国の埒外とせられをりしが、今や中国発展の最前線とはなりたり。

なほ、余らの旅行中、恰も尖閣諸島を巡って日中間紛争出来し、中国内に反日感情沸騰してあり。帰国当日には中国各地にて暴動も起こりしやうなれど、余らは面前にかかる騒乱の状態を見ることあらざりしなり。


平成廿四年九月十一日(火)午後三時四〇分、成田空港第二ビル三階にて今子と会ふ。旅行会社のカウンターにて航空券(香港航空)を交付せられ、四階の喫茶店に小憩して後チェックイン。搭乗機は午後五時四〇分発香港行六一九便、予定より三〇分遅れて離陸せり。

機内ほぼ満席なり。機体はボーイング七三七―八〇〇の小型機にして、経年のため設備の損傷進みてあり。座席傾倒せず、背後の網袋破損し、音響装置故障せり。

搭乗員には日本人を見ず、すべて中国人なり。機体の老朽と云ひ、搭乗員に日本人を用ひざると云ひ、割安料金を実現するための工夫なるが如し。

午後七時過飲物を振る舞はれ、ついで夕食を供せらる。ポークとチキンいづれのうちより選ぶべしとあればポークを選ぶに味美ならず、またビールの追加を求むるに欠乏してあらずといふ。さればワインは如何と問ふに、これもまた欠乏すといふ。

窓より外を見れば漆黒の闇の彼方に光の連なるを見る。余当初は陸地ならんかと思ひたれど、さにはあらず、海上の漁船火を放つなり。その光景極めて幻想的なり。

午後十一時(現地時間十時)香港国際空港に着陸す。当空港は大嶼山(ランタオ)島の北西端にあり。十数年前に海面を埋め立てて造成せられたる由。余二十年以上も前に、崇記を伴ひてロンドンに旅行せし折香港の空港に立ち寄りしことありしが、その折の空港は啓徳空港といひて、九竜半島にありき。市街の発展のために旧空港を閉鎖し、土地を造成して現在地に移転せしなり。

到着ロビーに至れば現地ガイド出迎へてあり。また同行の者もすでに集結してあり。頭を数ふるに三十名弱なり。殆どは老人なり。

バスにてホテルに向ふ途中ガイド自己紹介をなす。名をピーターパンといふ。乗客みな笑ふ。ガイドいふ、冗談にはあらず、ファーストネームのピーターとは英語流の名前なり、ファミリーネームは潘と書きてパンと読むなり、さればピーターパンと呼ぶべしと。香港人はイギリス国籍を有するなれば、英語流のファーストネームを有する者多かる由なり。

午後十一時半頃ホテルに到着す。ロテル・ニーナ(L'Hotel Nina)といひて九竜半島の西端海岸沿に立てり。八十二階の超高層ビルにて、余らは四十六階の部屋に案内せらる。

シャワーを浴びて後バーボン・ウィスキーをなめつつ歓談、午後一時近くに就寝す。





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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2011
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