中国を語る
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香港散策:嶺南紀行その二


九月十二日(水)晴。早朝六時過起床す。窓より外を見るに香港の市街パノラマを見るが如し。眼下には九竜半島の高層ビル群林立し、正面奥手には香港島の市街地を臨む。右手に見ゆるは青衣島にて、九龍半島との間に数本の橋架りてあり。余らの乗れるバスは最も手前の橋を渡りて九龍半島に来れるなるべし。

八時近くにホテルを辞し、半島部市街地の中心部に至り、半島中心なるビルの食堂に入りて朝餉を食す。中国粥に点心数点添へられたり。

香港人は朝昼の食事を自ら用意せず、家族揃って外食する由。子どもを持てる母親は、朝餉を持たせて子供を送り出し、学校にて食はしむる由。昼餉は学校内外の食堂にて食せしめ、家にては食事をなさしめずといふ。徹底しをるなり。その割に香港人の食事へのこだはりは半端ならず、日常の友人同士の会話にも、食物のことばかり話しをる由なり。



食後バスは隧道を通って香港島に至り、ヴィクトリアピークなる高台に上り、そこなる展望台より香港市街を一望す。手前には香港島中心部の高層ビル群林立し、水路を挿んで向側には九龍半島南部の市街地展開せり。半島部左手にはヴィクトリア港の船着場あり、右手には啓徳空港跡見えたり。

啓徳空港用地はまさに市街地のど真ん中といふべし。このためかつては建物の高さ制限課せられしが、移転後は安全上の制限緩和せられ、香港中心部の高層化に拍車かかりし由なり。

ガイドがいふに、香港は東京23区の倍以上の面積に700万人余の住民暮しをれど、人の居住可能な土地は少なし。よって建物は高層化するなりと。また香港にては、居住はすべて共同住宅にて、日本の如き一戸建は考へられず。そのマンションも高価格にて、市街地中心に近き高層マンションなどは庶民にとり高値の花なりといふ。

展望台の一角に石獅子一対あり。いづれも口をあけをれば阿吽とはいはれず。されど雌雄の相違判然たりとピーターパンいふ。余と今子思わず獅子の股倉を覗くに、ピーターパン笑っていはく、股倉ではなく足元を見よ、足に球を握れるものを雄となし、児を握れるものを雌となすと。成程そのとほりなり。余大いに笑ふ。



高台より下りて後、皇后大道東(クィーンズ・ロード・イースト)なるところより二階建の路面電車に乗る。此の路面電車構造は殆ど二階建のバスと同じにて、後部扉より乗車し、一階乃至二階の座席に坐すなり。二階よりは沿線の町の光景手に取るやうに見ゆるなり。



かかる光景のうちに、いくつか印象に残るものあり。ひとつは街路の看板なり。香港の看板の特徴は横に長きことなり。それらの看板相重なりて見ゆるさまは一種の壮観といふべし。余昔日映画ゼロゼロナインのシーンにかかるさまを見たることありしが、たしかに迫力ある眺めなりき。ただし近年は交通安全上の理由から撤去せらるるもの多く、次第に消えつつありといふ。



いま一つは竹の足場なり。これは工事用の足場を竹にて組むものにて、日本人の感覚にては理解しがたきものなれど、香港に限らず中国にては広く行はるる由なり。組立撤去とも至極簡便にして、建物の任意の所に設置しうる便宜性を誇るなれど、ひとつ欠点あり、安全性に劣るといふことなり。竹の足場崩壊して作業員転落する事故後を絶たず。にもかかはらず、禁止せよとの声起こらず。廿一世紀の現在でも、高層ビルの工事に広く採用せらるる由なり。

荘子敦道(ジョンストン・ロード)なる処にて下車す。そこよりバスに乗らんとせしが駐車するに余地なしとて道路のどまんなかにて乗車す。香港にては適度に交通違反せざれば生きてはいかれぬ由なり。

宝石店にて荊婦のために耳飾を求め、健康寝具店にて自分のために健康枕を求む。ラテックスなる名称のゴム製品なり。通気性に富み弾力性あり、しかも極めて衛生的なりとの言葉にほだされ買ひ求めしなり。枕と云ひても、空気を脱いたる状態にては容積縮小し手鞄の中にも入るほどなり。

とあるホテル内の食堂に案内せられ昼餉をなす。冷肉の前菜、野菜の炒めもの、魚の煮凝り、小籠包数種のほか焼ビーフン、炒飯なり。香港ビールを注文するに、これはStMiguel といひて、香港らしからぬ名を冠せられてあり。度数は五度、価小瓶一本38ドルなり。





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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2011
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