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虞世南の書を学ぶ


筆者は子どもの頃に書の稽古をしたことがなかったので、毛筆はおろか、およそ美しい文字を書くこととは無縁だった。それでも字体に対するこだわりというか、一種の美意識というべきものはもっていたので、自分なりに工夫して納得できる字を書きたいとは思っていた。

筆者が子どもの頃に思い描いていた理想の字体とは活字だった。いまから思えば、子どもの頃の筆者はなるべく活字のように無機質な字を書くことに心がけていたものだ。

世間並みの感覚で美しいと思われる字を書きたいと思い直したのは、三十を過ぎたときだった。自分の字があまりにも幼稚に見えるのに悩んだ筆者は、字体を矯正しようと考えて、まずペン字の稽古から入った。

当時ペン字の世界では三室小石のグループが支配的な影響力を発揮していた。そのグループがペン字の通信教育も行っていたので、これに加わって稽古に励んだ次第だ。

長年の間に身についた書体の癖は、直すのに時間がかかったが、それでもいつしか納得できるほどの字を書けるようになると、次に毛筆の稽古を始めるようになった。こちらは自己流である。

最初に手本に選んだのは王羲之だった。字体は均整がとれていて癖がなく、非常に美しい。書聖といわれるに相応しく、誰しも手本にしたいと思う字だ。このほかにも色々な人の書体を研究して、それをなぞってみた。そうこうするうち、自分がもっともなじめるのは虞世南の書体だと思うようになった。美の対象としてだけでなく、自分の書体の手本として受け入れたわけである。

虞世南は?遂良とともに初唐を代表する書家だ。?遂良の書体が豪放で男性的なのに対して、繊細で女性的だと、筆者などは感じている。その点王羲之と通じるものがあるように思える。

虞世南の作品としては、孔子廟堂碑の拓本が今日に伝わっている。上の写真はその拓本の一部である。筆者はこれを手本にして毛筆の訓練を重ねたものだが、形は真似できても、文字の持つ勢いまではなかなか表現できないでいる。





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