中国を語る
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中国のGメール遮断を米政府が批判


グーグルが無償で提供しているメールソフト・Gメールが中国国内で遮断されている事態について米政府が批判、「インターネット上を含め、表現の自由を損なう中国における試みを引き続き懸念している」との声明を出したそうだ。だが、批判の理由が変っている。検閲のような行為が市場にどう受け止められるか、中国政府はよく考えるべきだというのだ。恰もこの問題が、市場の問題であるかのような言い方だ。

もしも中国政府が、Gメールに対して遮断などの妨害行為をしたり、事実上の検閲行為をしていることが事実ならば、それは表現の自由という普遍的な価値への挑戦だ、と受け取るのが健全な反応だろう。ところが今回の米政府の見解のように、それを市場の健全性の問題としてとらえるならば、それは市場のメカニズムをめぐる功利的な判断の問題に矮小化されてしまうわけで、米政府が中国を強く批判することの、道徳的な根拠は失われると考えるべきであろう。市場がそれを不都合だと受け取らなければ、その限りで中国政府の行動も合理化されてしまうだろうからだ。

表現の自由というものは、市場との関係において論ずべきことではないだろう。それは、たしかに健全な市場にとって望ましい原理であるかもしれないが、しかしそんなものが無ければ市場が絶対に機能しなくなるというわけでもない。表現の自由と市場の健全性とは、必ずしも密接に結びついているわけではない、そう考えるのが自然というべきだろう。

というより、表現の自由は、市場とは直接関係はない、というべきだ。それは人間にとって基本的な価値の一つなのであり、また民主主義社会にとって不可欠なものである。だからこそ、それは「普遍的な価値」だと言われもするのである。

その普遍的な価値を、市場の健全性の分脈でしか論じえないのは、民主主義と基本的人権の尊重を標榜するアメリカ政府にとって、決して望ましい事とは言えない。





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