中国を語る
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北京小紀行(その一:天壇公園、王府井)


五月二十二日から二十四日にかけて、旧友三人と北京に旅行した。わずか三日間の旅だったが、五大世界遺産を始め名所旧跡を訪ねることを得て、なかなか身のあるものになった。旅行中に感じたことは筆者の日記「壺齋日録」に記しとめたところだが、ここではそれを引用して、読者に紹介したいと思う。

平成二十二年五月二十二日(土)昨年の春、横、今の二子とともに上海、蘇州に小旅行をなせしが、こたびはこれに少尉を加へ、旧友四人連れ立ちて北京に旅遊せんと欲す。旅遊といひても二泊三日の短き旅なり。さはあれど北京市内外の世界遺産五ヵ所を含む本格的なものにて、しかも費用頗る廉価なり。

早朝六時半一同羽田空港国際線ターミナルに集合し、チェックインを済ませて後ロビーの喫茶店にて出発時刻を待つ。今まで羽田の国際線は台湾路線が中心にて、空港設備も粗末なりしが、将来は拡大してハブ空港化の構想あり、そのことを見込んで空港設備も一段と整備せらるる由なれど、この日はいまだ旧態のままなり。

飛行機は八時三十五分に離陸し、十二時(現地時間十一時)に北京国際空港に着陸す。離陸後進路を真西にとりたる航空機の窓からは、調布、秩父、八ヶ岳の山々など眼下に見おろすことを得たれど、日本海に差し掛かる頃より雲たちこめて視野を遮られたり。しかれば朝鮮半島の様子などは確認する能はず、わずかに北京市街地周辺を鳥瞰するにとどまりたり。

空港到着ロビーには現地案内人孫良出迎に来りてあり。自己紹介にいふ、孫悟空の孫、不良の良なりと。いまだ二十台と覚しき青年なり。こたびの旅行は旅行会社主催のツアーなれば、ほかに同行のもの十数名有り。ほとんどは中高年女性のグループなり。ともに用意せられたるバスに乗りて都心に向かふ。

車中孫の説明に曰く。北京は上海とは異なり、歴史的な街並の保存に熱心なり、上海は都心に超高層ビル林立しをれど、北京はしからず、旧城壁たりし二環道路内部は高層建物の建築を認めず、二環の外側といへども高さは原則として100メートルに制限せらる、されば北京中心部は故宮を中心に低層の街並広がり、その外側に高層、さらに外側は郊外地帯といふ不具合に、ドーナツの陰画の如き構造をしをるなりと。


まず市街南部の天壇公園に至る。外周数キロの広大な公園にて、天子が天を祀るための施設なり。中央に祈年殿あり、高さ38メートルにしてかつては北京市内最高の建物なり。天子ここにこもりて年々の豊作を祈る。今は世界遺産に指定せられ、市民にも開放せらるるなり。この日も園内おびただしき数の人々集まり来り、思ひ思ひにくつろぐ中に、さまざまなパフォーマンスをなすものもあり。

園内に散在する便所は、これを衛生間といふ。空港にては洗手間といひたり。上海にて厠所と率直にいひたるものを、ここは気取ってかくいふものの如し。便座の上部に注意書きありて曰く、向前一小歩、文明一大歩、文明とは日本語にいふ文明とは多少ニュアンスの相違有り、エチケット或いは礼節といふに近し。


その後王府井大街を散策す。この辺かつては王侯貴族の屋敷地にして、一の良質なる井戸あり、その井戸にちなみてかく名づけられしといふ。道路の一角にその由来の井戸の後保存せられてあり。

町中細かい綿の如きものいたるところに漂ひて、細雪の降るを見るが如し。すでに空港において目にし、天壇の公園内にても目にしたり。孫に問ふに、これは白楊(ポプラ)の種なり、黄砂とともにこの季節を彩る現象なりといふ。

王府井は北京最大の商業街区にして、東京でいへば銀座の如きものなり。故宮の東側に隣接し、当然二環の内側なれば、さほど高層の建物はなし、中低層のシックな街並の落ち着けるさまは、外見上も銀座に似たりといふべきか。

銀座と異なるところは、近代的繁華街に接して旧態依然たる路地を包含しをることなり。そのひとつ小喫街なるものを散策す。狭き道を挟んで粗末な屋台連なり、そこにてやはり粗末な食物を売る。中に生けるサソリやヒトデを串刺しにして売るものあり。さそりは生きたまま食ふなりといふ。台北の屋台は雑然としていかにも東南アジアの原風景を感ぜしめしが、ここの屋台は現代文明に接して過去の遺物同居しをるなり。

孫がいふには、北京の人は外食の習慣有り、ほぼ三分の一の世帯は毎日外食して手づから料理をすることなし、されば北京市内には食堂数限りなく立地し、階層に応じて高級な店から屋台まで色とりどりに展開する由なり。

一茶芸館にて茶を飲みたる後、東四十条なる平安大酒楼にて晩餐をなす。四川料理なり。卓上同行の女性たちとやうやく打ち解けたり。

辞して後ホテルに向かふ途次路上の光景を見るに、道路甚だ混雑す。北京は東京に比して道路の面積大なるやうなれど、車両の台数並々ならず、いたるところの道路を埋め尽くしてなおも増加しをるなり。そのため市政府は車両の利用制限を課す、すなはち土日を除く平日には、ナンバーに応じて二割の車両に運転禁止の措置を課すなりといふ。

新興の車社会なれば特有の社会問題も発生しをるが如し。最大の問題は運転マナーの悪さなり。信号はあってもなきが如く、運転手は目前の信号の色の如何にかかはらず、余地さえあれば通行せんとす。余らも市内を散策せる折、交差点を青信号に従って歩きをるところを、右折する車に次々と割り込まれ、交差点内に立ち往生せり。また青信号を横断せるところを、横断者の姿も赤信号も無視して全力疾走せしものもあり。

これではさぞ事故も多かるべしと思ひをるところ、少尉がいふには、西安にては交通事故の死者が自然死するものの数を上回る由、北京も似たり寄ったりなるべしと。まことに無法としかいひやうもなしと、感じゐったる次第なり。

夕刻八時頃朝陽区内のホテル珀麗酒店に投ず。空港より都心に向かう道筋、市街の東北にあり。チェックインして入浴をすませ、一息ついたる頃、そろって一階のバーに赴きバーボンウィスキーを飲む。





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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2011
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