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江南小紀行その四:上海市街(観光隧道、南京路散策)


四月十四日(火)陰。朝食を喫せし後八時頃ホテルを出づ。今日は李あらざれば、余らのみにて気ままな散策を楽しまんとするなり。

まづ東方明珠塔の辺りまで歩き、そこより観光隧道に入る。黄浦江の底を潜る隧道にて人をゴンドラに乗せて対岸まで運ぶものなり。運搬料一人につき片道四十元なり。坑内壁面に光彩施され遊園地の乗物の如し。

対岸の外灘に出でて後南京東路を西へと歩む。市中第一の繁華街にて、東京でいへば銀座通りの如きものなり。道路の両側にはクラシックな建物立ち並び、頗る景観良し。数百米進み大きな交差点を渡れば、その先は歩行者専用道路なり。まだ朝といふに路上には人々溢れ、宛らお祭り気分なり。



路上あちこちにパフォーマンスをなす集団あり。見れば中国名物の太極拳にはあらずして、エアロビックス、社交ダンスの類を踊るもの多し。

南京東路は人民広場を境にして南京西路と名を変ふ。東路が庶民向けの店多きに対し、西は高級店多しといふ。

人民広場にてしばし寛ぐ。この広場は上海市街の中心にあたる地点なり。四方いづれの方向を見やりても超高層ビルの輪郭連なり、宛ら蛙の臍の底から外界を覗くが如き心地す。

一画に自動販売機を見る。上海は東京の如くには自動販売機の数多からず。一見するにコカコーラのボトル三元五角、ジュースの類二元の値札付されてあり。その廉価なること知るべし。

公園の一隅にて華やかな踊りを繰り広げる集団あり。近づき見るに年増女の集団手に手に太鼓を叩きながら賑やかな踊りをなせり。大げさなショーにはあらず。同好の者語らひあひて楽しみをるといった風情なり。東京にては殆ど見ることなき風景なり。

人民広場より地下鉄二号線に乗り陸家嘴駅まで戻る。運賃一人当たり三元なり。人数分の金額を機械に投入すれば名刺大のカード出現す。これを入場の際には改札機の上部にかざし、退場の際には収納孔に投入するなり。

ホーム上車両内いづれも頗る混雑す。多くはサラリーマン風の体裁なり。車中立ちながらにしてハンバーガーを食ふ若い女の姿あり。東京の女も礼儀を知らざる者多かれど、上海の女も同様に見えたり。

列車を下りて便所を探せしが見当たらず。その代はりにエレベーターを見る。「残疾人電梯」と記されたり。障害者専用のものの如し。

信号無き道路を危険を冒して横断しつつ、十時過ホテルに戻る。昨日彫り直しを命じたる印鑑部屋に届けられてあり。検分するに正確たり。

チェックアウトをなしロビーにて寛ぎをるうち、十一時頃案内人権恩銘空港への見送りのためとて来る。二十台半ばの美形の女なり。手配せる車に乗り浦東空港に向ふ。

車中権と雑談をなす。余今回の旅行のうち蘇州の運河がもっとも気に入りたりといふに、権曰く、蘇州は無論素敵といへども、多少観光地臭くなりぬ、運河のうちにも周荘のものは未だ観光地化されず、旧態を留めたれば復異なれる趣あり、この次は是非周荘の運河を訪ねよと。

また車中よりある建物を指差して曰く、あの建物は上海で一番高価なマンションなり、一戸数億元もするなり、自分のようなものには一生かけても縁なしと。

そこで余曰く「君は若くて綺麗だから、そのうち、金持ちの男から嫁にもらいたいといわれるよ。」
すると権答へらく「わたし好きの男貧乏よ、それでもいいよ。」
余また曰く「そうだなあ、好きな男と一緒になれるのが一番だからなあ。」

十二時頃空港に至り、権と別る。しかしてチェックインを済ませて後、十四時(日本時間十五時)発東京行JL792便に搭乗す。

出発ロビーにて搭乗を待つ間、横子余に向って言ふ、今回の旅行中先輩の勉強熱心には感心したりと。余答へて云へらく、いづれの時いづこの場所においても、勉強する姿勢は大事なり、特に旅先にありては、新しき見聞を得る絶好の機会に恵まるるなり、中でも外国の言葉などは、現地の人と会話することによって身につくものなり、されば人たるもの勉強の機会を逃すべからず、漫然と見過ごすは無策なりと。横大いに恐縮す。



(写真説明)上:外灘の洋館群 中:路上パフォーマンス 下:南京東路





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