中国を語る
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赤いブルジョア:中国共産党は誰の代表か


国分良成氏によれば(中国はどこへ行く「中国は、いま」所収)、中国共産党員は2010年現在で7800万人、2009年のデータによればそのうち労働者は9.7パーセント、農民、漁民は31.1パーセントで、いずれも減少傾向にあるのに対して、企業幹部、専門職などは22.2パーセントまで上昇してきている。彼らは共産党幹部と太いパイプを持ち、中国経済の発展の恩恵を集中的に受けている、幸福な連中だ。

彼等は天から降ってきたわけではなく、中国共産党の改革・開放路線の落とし子というべきものだ。もともと中国共産党の中にいたもののうち気の利いた連中が、改革開放運動に乗って経済的な実力をつけてきたものだ。彼らはいまや巨大な「特殊利益集団」を形成し、中国社会を牛耳るまでに成長してきた。そんな連中をさして、「赤いブルジョア」と称するのだそうだ。

中国にこうした階層が生じるのには一定の理由がある。中国はいまでも社会主義社会であることを標榜しており、共産党による一党独裁と、土地をはじめ生産手段の公有を基本としている。土地の流動化が激しくなり、一定の私権が認められるようになっても、土地の所有権は国にあり、人民は利用権を持つに過ぎない。人民は土地の利用権を国や地方政府から割り当てられるのだ。

こうしたシステムの上では、共産党官僚が絶対的な裁量権を持つ。彼等は経済の拡大のためと称して、一般民衆から土地を取り上げ、それを高い値段でデベロッパーに売ったりする権力を持っているのだ。

だから、赤いブルジョアとよばれるような新しい階層が生まれてきたのは、共産党一党独裁というシステムが、市場化の流れに結びついた結果なのだといえる。

ところで、中国共産党は、毛沢東の言葉を引合いに出すまでもなく、労働者と農民の党であったはずだ。なのに労働者や農民は次第に党運営から疎外され、赤いブルジョアといわれるような連中が実権を握るようになった。これは共産党の理念に逆らう傾向ではないか、こんな疑念も出てくるというものだろう。

そこで2000年の時点で、当時の実力者江沢民が、「三つの代表説」を唱えた。中国共産党は、「先進的な生産力」、「先進的な文化」、「広範な人民の根本的利益」を代表すると。

肝心なのは「広範な人民」という表現だ。それは毛沢東がいっていたような労働者・農民のほかに、市場経済後に中国に登場した新しい階層、つまり企業経営者、テクノクラート、会計士・弁護士などの専門職をも含んだ新しい概念であり、今日の中国の実態を反映した正しい概念なのである。だがこうした新しい階層を階級と呼ぶわけにはいかない。彼らはあくまでも社会主義的無階級社会の中での新しい階層なのである。

ケ小平や江沢民の時代までは、中国共産党はまだ労働者・農民のための政党という色彩を失わないでいた。今日ではそうではない。共産党は赤いブルジョアといわれる階層によって指導され、赤いブルジョアの利益に奉仕する政党へと脱皮しつつある。新しい総書記への就任が確実視されている習近平は、赤いブルジョアの希望の星だといわれる。

自分自身叩きあげから始めた胡錦濤や温家宝といった指導者は、まだ労働者や農民への配慮を怠らない。しかし習近平をはじめとした太子党と呼ばれる連中は、赤いブルジョアのために、強大な既得権を手放そうとはしないだろう。彼らが第一線の指導部を固めることで、中国はますます格差社会へと歪んだ道を歩んでいく可能性がある。

その太子党を中心とする赤いブルジョアは、いまでは胡錦濤でさえ制御できないほどの力を持つに至っているようだ。彼らの基本的な方向性は、胡錦濤がかかげた「和諧社会」の実現ではなく、自分らの特殊権益を追求することを基本的な目標としつつ、人民各層の不満を抑えるために、成長の分け前をばらまこうとする方向へ向かうだろう。

それが格差をますます甚だしくし、中国社会は階層間に分断された社会になっていくだろう。(写真はAFPから)





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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2011
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