中国を語る |
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康康の思い出:呉越紀行補遺 |
今回の中国江南地方ツアー旅行の現地ガイドを勤めた康康はなかなかユニークな若者だった。日本人の若者には見られない、達観したような楽天性を感じさせ、それが老人主体の同行の旅行者たちの気持ちを慰め、旅行を一段と楽しいものにしてくれた。ここでは多少の感謝の意を込めて、彼のことを紹介しておきたいと思う。 康康は、本文でも触れたとおり、江西省の林業家の一人息子として生まれた。だから彼は自分自身を山の子と呼んでいた。中国の一人っ子政策は江西省のような田舎では十分に徹底せず、複数の子どもを設ける夫婦が多かったが、康康の両親のように多少の家産を持った者は政府の方針に従って一人っ子で我慢したのだった。それだけに両親の子どもに対する期待は大なるものがあり、康康は常に自分の背中に注がれる両親の期待を重荷に感じてきた。 康康がハルビン大学を選んだ理由ははっきりしない。ただ大学進学時には日本語で身を立てたいとの抱負は持っていた。旧満州はいまでも日本語を話す人がいるという、もしかしたらそんな満州にあこがれたのかもしれない。 江西省からハルビンまでは、飛行機なら数時間で着くが、豊かでなかった康康は列車でいった。数回の乗り換えに要する時間を含めて69時間かかったそうだ。大学では、日本から来た老学者を恩師として日本語を教わった。しかし康康の話す日本語はあまり流暢ではない。発音もいまいちだし、語彙もかなり貧しい。これは恩師の教え方に問題があったのか、康康の学ぶ姿勢に問題があったのか、部外者たる筆者には知るよしもない。 大学を卒業すると、康康は東北にとどまらず、かといって故郷の江西省にも帰らず、上海の日系企業に就職した。だがそこは半年でやめた。本文で触れたように、自分の抱負と一致しないことがわかったからだ。 旅行会社のガイドの職を選んだのは、日本人相手のガイドをやれると思ったからだ。ガイドの職は中国人の間でも人気があり、なかなか入れないのだが、康康は一計を弄して何とかもぐり込むことができた。企業の人事担当者にじかに談判し、自分の能力を認めさせたのだと、本人はいっている。 日本の若者に見られるような大企業にあこがれる安定志向は中国の若者には薄いらしい。中国の若者は企業の一員として自分を認知するのではなく、自分自身の能力を磨くことで自分のキャリアアップを図ろうとする姿勢が強いようだ。だから日本の若者のように、最初に就職した企業に一生居ようとする動機は極めて薄いという。 康康もいまの職業にいつまでも恋々としているつもりはないという。若いうちはせっせと人脈などの財産作りにはげみ、機会がきたら自分の能力をもっと発揮できる仕事に移りたい、そんな強い動機を持っている。 康康の仕事ぶりには、日本のガイドにみられるような、マニュアルに忠実だが面白さにかけるといったところはない。むしろどこまでが会社の営業方針で、どこからが康康自身の個人プレイなのか、区別がつかないほどユニークな仕事ぶりだ。 一例として内輪話をいうと、筆者は康康から買春ばなしを持ちかけられた。まじめな顔つきで筆者を見つめ、先生はまだあちらの方は立ちますかという。まだ若いものには負けんよと、ちゃかすように答えると、どうですか、若くてぴちぴちしたのを紹介しますよ、一発1万8千円、一泊3万円ですなどと畳みかける。 おいおい中国では売買春は厳罰だろ、買春して豚箱に放り込まれた日本人観光客もいたというじゃないか、わしを危険な目にさらす気か、というと、先生犯罪の件については私も共犯ですからむざむざ先生を窮地に追い込むようなことはしません、と涼しい顔だ。 これなどは、客にエクストラメニューをもちかけることからリベートを手に入れようとする動機があるのだろうが、まさか企業側がこれを奨励しているとは思えないから、康康自身の副業として行っているに違いないのだ。 康康は一度断られただけでは引き下がらず、後日にも同じ話をもちかけてきた。さすがに立腹した筆者は、わしがそんなに好きそうにみえるか、といったところ、見えるからこそ重ねて申し上げているのですよ、と中々ふてぶてしい。 ともあれ康康は方々で独自の人脈をつくり、それを利用することで立派な副業が成立するよう計らうだけの気力を持っているわけだ。 康康は、今のところでは8万円ほどの給料をもらっており、これは中国人の平均よりはかなり高いといっていたが、実際の収入はそれ以上だと思われる。彼には他面的な収入源を確保できる能力があるはずなのだ。 そんなわけで、彼の世代の普通のサラリーマンにとって日本旅行などは高値の華だが、彼はこの年末にも日本に旅行して、秋葉原や富士山も見学し、日本人を捕まえて日本語も話してみたいといった。 そこで筆者は、もし日本で金に困ったらいいアルバイトがあると教えてやった。新宿2丁目というのは日本最大のゲイタウンとして知られているが、そこでは常に若い男を募集している、外国人でもかまわない。しかも毎日即決で一日やった分の給料を払ってくれる。かなりな額になるはずだ。おまえさんなら男からも女からも引っ張りだこだろう。男に掘られるのがいやだったら、年増女に抱かれるがいい。 こういうと康康は両手で尻を抑え、身をすくめてみせるのだった。 |
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