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上海博物館、南京路:呉越紀行その十九


午後上海博物館を訪ふ。まづ四階に上り、階段を順次下る。四階にては少数民族衣装館を見、三階にては中国歴代絵画館を見、二階にては中国古代陶磁館を見、一階にては中国古代青銅館を見る。

青銅器の文様にいくつかの種類あり、竜紋、幾何紋、鳥紋、火紋などなり。そのうち火紋は進化して今日の巴模様とはなりたり。

博物館を出でてバスの来るを待つ間、何者か余の知らぬうちに靴を磨きてあり。気がつくに男起き上がりて手を差し伸べ代金を求む。余は要求に応じざりき。人の知らぬ間に了解も取らずにサービスをなすはサービスとは言へず。とはいへその根性には苦笑せり。この調子にては知らぬ間に尻を拭はるるとも不思議ならざるなり。



次いで国立工芸館に案内せらる。元ロシア大使館の建物を改造して博物館になしたるなり。よってシックな雰囲気ただよひてあり。

女経理現れて余らに展示品の説明をなす。しかしてその一部を特別に販売せんといふ。ガラスケースの中に、瑠璃、喬木、メノウ、水晶などの工芸品六点を収めたる物を指さし、これを一括して買はば黒檀のケースをつけて百万円に値引きすべしと。もしこれを日本にて買はばその十倍はすべし。投資と思って買ふべしと。

余前年上海を訪れたる折、やはり同じやうなる施設にて館長なる人物から執拗に進められ、碧玉を一万円にて買ひたることあり。その折のこと思ひ出でられたり。その後この買物が価値あるものなりしか未だ判明ならず。重ねて同じやうな物を買ひて帰らば荊婦より軽侮せらるべし。



館を辞して後、南京東路に至り、しばし散策を楽しむ。一帯のにぎはひあひかはらずなり。余はK氏とともに界隈を散策し、人民広場あたりまで足を延ばせり。

半島休閑広場沙田大厦内の相粤山荘にて晩餐をなす。粤の字はホテルの中国名にも使われてありしが越の意なり。上海はもと呉の流域に含まれをりしが、呉越戦争の結果呉が越に敗れ越の範域に含まれしことあり。よって今日でも粤を称するなり。

卓上上海ガニを供せらる。小型の淡水ガニにて上海人は好んで食ふといふ。手のひらにすっぽりと収まるほどの大きさにて、主に味噌のところを食ふなり。味濃厚なり。そのほかの料理も今までの江南料理より格段に濃厚な味付けを施してあり。

食後船上より外灘の夜景を見んとて大部分のものは出かけしが、余は疲労を覚えたればまっすぐホテルに戻ることとす。例の老嬢姉妹とともにタクシーに乗り、夜八時頃にホテルに投じたり。





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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2011
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