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蘇州平江路散策:呉越紀行その三


午後一時頃蘇州平江路に至る。蘇州旧市街のほぼ中央に位置する街路にて、運河を挿んで明清時代に建てられたる家屋連なりてあり。水郷の古鎮の多くとは異なり、これは大都市の中心に位置するなれば、保存状態格段によし。

通りをゆったりと散策するうちに、白壁に黒瓦を載せたる家屋のほか木造の家屋も点在し、見飽きぬ光景なり。それらの家屋は土産物を売るほか、飲食を供するもの住宿を供するものなど今もって人の生活営まれてあり。



康康の説明に、蘇州は二千五百年前ほど前に呉の都となれり。それ以前は無錫を呉の都とせしが闔閭の時にこの地に遷都し、以後呉都として江南の文化の中心となれり。当初は呉州といひしが、隋の代に蘇州と名付けられたる由。又の名を姑蘇といふは張継の詩にあるとほりなり。

午後二時半頃国家絲綢産品開発基地と大げさな名を冠せるシルク研究所に至り、女工らが繭から糸を繰り出す作業を見物す。この地の繭は日本のものよりはるかに大なり。その訳を聞くに、双子が入る繭なる由。

なほ、女工たちの賃金を参考までにと訊きたるところ、月八千円前後といふ、余大いに驚く。もっとも康康がいふには、江西省あたりにては男の月収二万円ほどなれば決して驚くにはあたらずと。



所を辞して盤門に向かふ途中、絶景の撮影スポットに案内すべしといはる。バスを降りてそこに至れば、橋の上から虎丘方面を望む景色広がりてあり。前景には運河に影を落とせる民家連なり、背景に小高き丘の上に虎丘の斜塔そびえたるところ真に絵になる風景なり。水彩画にでもしたらばさぞ幻想的な雰囲気の絵になるべしと覚えたり。



蘭莉園刺繍研究所を見物して後、夕近く盤門に至る。蘇州城にかつてありし八つの門のうち現存する唯一の門なり。石造の堅牢なる城壁はただに敵の侵入を防ぐのみならず、水位の調節など実利的な機能をも果たすといふ。

夕、市内の金満楼なる餐庁にて晩餐をなす。蘇州料理といひ、いづれも赤唐辛子を多く使ひ頗る刺激的な味なり。青唐辛子の炒め物、鯉の餡かけ、鮒の煮もののほか、鴨の肉、米のおこげ、湯葉、胡瓜、小松菜、豆腐などの料理を供せらる。なほ、ここのビールもやはり三度前後にて、水の如く薄し。

我が食卓に一の女流歌手来り琵琶をつま弾きつつ歌を歌ふ。最初は日本語にて支那の夜、次に中国語と日本語を交えて夜来香、最後は中国語の歌謡数曲なり。同行の小松氏チップを与ふ。

また卓上に酒を暖むるための道具あり。細長き椀に熱湯を注ぎ、そこに酒を入れたる器を嵌め込み、数分温めて後飲むなりといふ。これに盃を加へて三点セット、材質は景徳鎮の陶器にて、値二十元なり。余亭主のおだてに乗り一組購ひたり。

また卓上同行の諸子と会話をなすうち、アヒルと鴨の相違話題に上る。ある人あひると鴨に相違はなしといふ、ある人はあひるは鴨の類には違ひなけれど、他の鴨とは大いに相違すといふ、どこが相違すといへば、アヒルは羽が白なり、それに対して他の鴨には色彩あり、と講釈する者あり。

それならばアヒルとガチョウには相違ありや、と別のものが口をはさみたり、あひるは家畜なれどガチョウは野生の生き物なるべし、とまた別のものが応ふ。かくて議論は果てしなく続きたり。

そのうち犬の鳴き声とあひるの鳴き声はどう相違するか議論となれり。犬はワンワン或はバウバウと鳴くべし、あひるはガアガア或はグワックグワックと鳴くべし、これもまた議論決着せざるうちに食事時間終了となりぬ。





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