中国を語る
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北京小紀行その三:八達嶺万里長城


午後八達嶺長城を視察す。万里長城のうち最もよく保存せられたる場所なり。通常は麓よりロープウェーに乗りて山上に上るといふなれど、この日より当分運転休止との連絡あり、孫係員に交渉してバスをそのまま山上まで運転する許可を得る、恐らく賄賂を贈りたる効用なり、賄賂を支払はざるものは山上まで歩くことを余儀なくせらるるなり

登城拠点にて記念撮影したる後、長城を歩かんとす。向かって左側は男坂といひ勾配急なり、右側は女坂といひて勾配緩やかなり、孫言ふ、いづれを選ぶかは皆さんの自由なり、されどいったん進みてしばらくしたら帰るべし、何となればこの長城は左へ行っても四千キロ、右へ行っても二千キロ、果てなきに似たればなりと、その道ふことに一理ありというべし。

余らは男坂を歩く。孫のいふとほり勾配急にして最大五十度もあり。坂の両側の壁は、内側は低く外側は高くして所々のぞき窓のやうなものを穿ちてあり。ここより敵を偵察し、或は矢を射るための工夫なりと覚し。

男坂より女坂の方向を見るに、長城の道延々と連なりて見えたり。陳舜臣の説に、長城は遊牧民族の侵入を防ぐが目的なれば、馬の通行を妨害すれば足る、さればさほど高くする必要あらざる一方、隙間なく続くことが肝要なりとあり。

余は三番目の砦まで歩きて引き返せしが、今子は五番目の砦まで往復したる後、更に女坂まで赴きたり。



疲労の上に渇きを覚えたれば、アイスクリームを求めて食ふ。横子にも進めたるところ衛生を懸念して躊躇す、されど余のうまそうに食ふ様を見て、自分も食ひたしといひだしぬ。余売り子に向かってこの男にもひとつやってくれと、たどたどしき中国語もて命ず、あたりの中国人みな一斉に余の方を振り返りたり。

八達嶺長城より市街中心部まで九十キロあり。夕近く戻り、全聚徳なる餐庁にて夕餉をなす、北京ダックの老舗なり、

卓上同行の女性らと会話をなす、皆元気溌剌たる熟女なり、少尉昨年の暮に細君をなくした話をするに熟女ら大いに同情す、少尉できうれば再婚したしといふに、熟女の中に関心を示すもの有り、余少尉の袖を引いていふ、気を持たしむるは罪なりと。

食後梨園劇場にて京劇を見る。出し物は天女の舞と孫悟空なり。余らは二階の普通の座席に案内せられしが、一階はテーブル席にて食事しながら観劇することを得る、余かつて台北にて食事しながら雑技を見たることを思ひだしぬ。

ホテルに戻りて後は、余の部屋に一同集まり、土産に買ひ求めし紹興酒を飲む。





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作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2011
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