中国を語る
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唐亮「現代中国の政治」

本書は、現代中国の政治を「開発独裁」と位置付け、政治体制の構造的特徴や政治変動のダイナミズムをとらえるものだと、著者自身「はじめに」の中で述べているように、中国がソ連型の社会主義でもなく、また欧米型の近代化路線とも異なった第三の道を歩んできたことの意義について考察している。しかして、それが急速な近代化に成功する一方、社会の民主化と言う面では様々な課題を抱えているということを抉り出している。現代中国論として、非常に参考になる本だ。

では、開発独裁とはどのようなものなのか、著者は次のように定義している。「開発独裁路線とは、市場志向の経済政策と権威主義体制の結合を特徴とする。具体的には、政府は経済成長を最優先課題として掲げると同時に、求心力の維持や社会秩序の安定が欠かせないとして、権威主義体制による自由と権利の制限を正当化しようとする。開発独裁路線は明らかに自由経済と民主主義を特徴とする欧米型の近代化路線とは違うし、また、統制経済と全体主義体制を特徴とする社会主義型の近代化路線とも違う」

開発独裁には先例があると著者は言う。韓国や台湾がそれだ。これらの国も権威主義的な政治体制の下で市場志向の経済政策を進めるなかで、本格的な近代化に成功するとともに、民主化の要請にもこたえてきた。そして現在では、開発独裁を卒業して、欧米型の社会のあり方に近づいている。民主主義の実現を進歩のメルクマールとするならば、韓国や台湾は成功した事例だと言える。

著者はこのような立場に立って、果して中国の開発独裁も、韓国や台湾と同じように、民主化の方向へ向けて軟着陸がはかれるのか、という点に問題意識を集約していく。

さて、開発独裁路線のもとでは、近代化の過程は大きく三つの段階に別れる、と著者はいう。第一は経済発展最優先の段階、第二は社会政策強化の段階、第三は民主化推進の段階である。現在の中国は第一の段階を通過して第二の段階に入ったと著者は見る。一応世界第二の経済大国になったわけだから、この見方にはそれなりの根拠がある。経済大国になったことの恩恵は、まがりなりに国民の間に伝わってもいる。

第一の段階を通過して、絶対的な貧困を抜け出した後に課題になるのは、格差の是正や腐敗の撲滅、社会保障の構築や環境の保護といったものだ。つまり経済成長と社会政策の両立が課題になる。中国はいま、ようやくこの課題に取り組み始めたが、その方法はあいかわらず権威主義的なシステムを通じて行われている。それに対して、下からの民主化要求がそろそろ出てきつつあるが、いまだ大きな力を持つには至っていない。中国はあいかわらず共産党の支配が絶対的で、それに対抗しうる勢力は育っていない、というわけである。

そこで中国では、なにごとも上からの改革という形で進んでいかざるを得ないが、共産党による一党独裁体制では、真の意味の民主化は期待できない。欧米流の民主主義を無条件に認めれば、旧ソ連・ロシアのように大規模な混乱が待っているだけだ、という恐怖感が彼らをとらえているわけである。そこで中国の支配者たちは、欧米諸国から民主化の不徹底を批判されるたびに、中国には欧米とは異なった中国流の民主主義があるのだといって開き直る。その中国流の民主主義には、基本的な人権という項目もあるはずだが、それらの権利は憲法に明記されてはいても、実際には無視されることが多い。体制に批判的な知識人に対する露骨な弾圧がそれを物語っている。

著者は、中国の民主化を担うのは中間層だと考えている。中国には欧米の民主主義を担ったブルジョワジー階級は存在しない。これからも、ブルジョワジーが成長して民主化の担い手になる可能性はほとんどない。むしろ中間層が拡大し、彼等が自由や権利を求め始めることの方が、可能性としては強いし、またそのほうが民主主主義の拡大と言う点で好ましい影響を及ぼすだろう。著者は、アメリカの政治学者リプセットの「経済発展は中間層を媒介として民主化を促進する」というテーゼを引き合いに出して、中間層に民主化への希望を託すわけなのである。

だがその中間層を巡っては、いまのところ大きな問題がふたつある、と著者はみている。ひとつは、まだ規模が小さく、社会を動かすようにはなっていないことだ。1990年代から2000年代にかけての急速な経済成長の結果、膨大な数の中間層が登場したとはいえ、2009年時点で、全人口の23パーセントを占めるにとどまっている。

二つ目は彼らの政治意識の二面的な性格である。中国の中間層の大部分は民主主義に対して親和性を持つと同時に、現状に一定の満足感を持ち、保守的な安定化志向をも持っている。そのため、「安定が発展の大前提である」とか「民主化は時期尚早」といった共産党のプロパガンダを受け入れる傾向がある。民主化を急ぐあまり、下層の急進化とそれによる混乱を恐れているというわけである。

しかし中国の民主化は避けられないことだ、問題はそれがいつ、どのように起こるか、ということだと著者は言う。民主化には(所得の増大、教育水準の向上、市民社会の形成といった)一定の初期条件があるが、それらの初期条件が満たされたうえで、ゆるやかな民主化が進むならば、それは成功した民主化となるだろう。その場合には民主化が軟着陸したといってもよい。

ところが、初期条件が整わないでも、民主化をすすめることはできる。その場合には硬着陸のショックから様々なひずみや混乱が生まれるだろう。

今の中国には民主化の軟着陸を保証するような初期条件はまだ整っていない。それ故無理な民主化は中国社会に巨大なマイナスをもたらす可能性が強い。そういって著者は、中国社会が民主化に向けた条件整備を進めていくことに期待している。





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