中国を語る
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上海豫園商城:呉越紀行その十八


 十一月十五日(火)晴。この日は終日上海市内観光をなす。まづ手始めに浦東地区を訪れ環球センター通称森ビルの展望台に上る。このビルはいまだに上海一高いビルの由。その傍らに新しいビル建築中にて、これが二千十五年に完成の暁には上海一の高さになるはずといふ。中国人は国家の威信にかけてもこのビルの完成を望みをる由。



森ビルは亦別の理由から中国人のプライドを傷つけをる由なり。ビルの頂上部が日本刀の形状を連想せしめ、そこに日の丸が重なれば日本による中国侵略を想起せしむるからといふなり。

その後豫園商城に至る。あひかはらずの殷賑ぶりなり。康康はここを東京の浅草に比較せしが、たしかに庶民的な雰囲気には共通するものあり。



K氏とともに域内を散策す。いたるところ人々の姿充満す。中国人は物見好きにて、豊かになるにつれて各地の観光地を訪問する故、いづこも観光客で充満するなり。その多くは景色を背景にして記念撮影をなす。中には一列にならび仲良くカメラに収まるグループもあり。



また街の一角に面白き置物をみる。龍の頭を戴いたる亀なり。この亀は肛門を有せず。口から入れたるものはすべて腹の中に蓄ふるがゆえに腹は大いに膨れ、それとともに財産も膨るるなりといふ。



余、筆と月餅とを土産に買はんとす。まづ筆商人を見つけてイタチの筆を物色す。気に入りたるものあり。支配人を相手に値段の交渉をなす。支配人いふ、定価九百八十元のものを四百八十元にすべしと。余四百元にまけよと詰め寄る。支配人肯んぜず。余その場を去らんと欲す。支配人慌てて余の言分を聞くべしといふ。

月餅には大きなもの見当たらざれば小型のものを求む。こちらはもともと廉価なれば値切ることはせざりき。

商城近くの海水鴨なる台湾料理屋にて昼餉をなす。案内には小籠包とありしが、焼売らしきものが一皿でてきたばかりにて、殆どは普通の料理なり。隣にはかのディンタイフォン店を開きてあり、本物の台湾料理を食はんとすればそちらに入るべきなりき。

ディンタイフォンのほかにも青葉の支店なども近くに出店してあり。余いつぞや台北の青葉で食事したる思ひ出を、旅行中仲良くなりし老嬢姉妹に語りぬ。姉妹いかなる料理がおいしかりしや、と問ふ。余答へて曰く、鶏の睾丸と肝の料理特にうまかりき。その上鶏の睾丸は勢力増進の効果またありと。姉妹聞こえぬふりをす。

食後バスに乗らんとするに子ども連れの女乞食銭箱を携へて金を乞ふあり。女の年は三十余り、子どもは十歳前後の男児と見えたり。かかる子を乞食稼業に同行せしむとはいかなる了見にや、またかかる子がいかなる大人に成長するやと、他人事ながら心配せり。





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