中国を語る
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呉越紀行(その一)


余四十年に及ぶ宮仕に終止符を打ち退隠生活に入るに当たりいづくかに旅せんと、ネット上に集団旅行の案内記事を探しをるほどに、中国江南地方への格安旅行を見出しぬ。上海、蘇州、無錫、杭州、紹興の各都市を八日間かけて巡り歩くといふものにて、期間中の食卓料と現地案内人の費用を含めて、一人当たり料金僅に四万五千円なり。

各都市の宿泊施設はいづれも五つ星なり。しかも移動にはバスを用ひ、鉄道は一切使用せずといふ。先日の高速鉄道事故以来、中国の鉄道には不信感を抱きゐたれば、聊か安心の種とはなるなり。

余単身にして集団旅行に加はることかつてあらざりしが、こたびはあへてなすこととせり。いつもの旅行仲間は時節柄長期休暇を取りがたしといひ、また、中国は個人的な旅行をなすには治安に問題あり、聊か窮屈なりといへども、現地案内人に保護せられて旅をなせば、余計な心配も無用なるべし、かう思ひなして加はることとはしたるなり。

結論を先にいふに、この旅行は頗る快適なりき。期間中体調を大きく崩すことあらず、同行の諸子とは愉快に交流することを得たり。天気晴朗風光明媚にして毎日の食卓人をして満足せしむるに足れり。

この旅行中醍醐味の最たるものは江南水郷地帯の古鎮群なりしといふべし。錦渓、蘇州平行路、烏鎮、西塘は、それぞれ運河を挟んで古き街並展開し、地上よりみても船上より見ても素晴らしき風景現前す、しかもその風景のうちに人々の息吹を感ずることを得るなり。

前年友人らと上海旅行をなせし折、蘇州の錦江運河舟行せしことありしが、こたびはそれに数倍する規模の古鎮巡りをなすことを得たり。また杭州にては蘇東坡の築きし堤を展望し、紹興にては魯迅の古里を見物す。上海は再訪の地なれど近年の発展目覚ましく前回より一段と肥大化したるを感じたり。

以下この旅行中に見聞したることどもを、いつもの通り日記風の紀行文にまとめ、読者の閲覧に供せんとは思ふなり。名付けて呉越紀行となす。


 平成二十三年十一月九日(水)陰。午後五時近く成田空港第二ビル日航カウンターに至り搭乗手続きをなせし後、四階の特別室にて雑誌を読み、構内電車に乗りて九三番搭乗口に至り、午後六時五五分発上海行JL八七九便に搭乗す。

滑走路混雑のため飛行機は予定時間より遅れて午後七時三五分頃離陸す。八時過ぎ食事を供せらる。缶ビールと赤ワインを飲みつつ食事をなす。

午後十時二十五分(上海時間午後九時二五分)浦東空港に着陸す。到着ロビーに至れば、現地案内人出迎へに来りてあり。彼に案内せられてバスに乗り込む。同行者を数ふるに余を含めて総勢十七名、うち男九名、女八名なり、殆どは老人なり。

車中ガイド自己紹介をなす。姓を某といひ、名は上野のパンダと同じなりといふ、即ち某康康なり。

康康また自らの経歴を語りて曰く、出身地は江西省の山中にして林産家の一人息子として育つ、中国はいづこの家庭においても一人っ子が普通にして、したがって親の期待も大なり。康康も親の期待を背に受けながら育ちしが、どちらかといへば親不孝の部類に入れると思しく学業芳しからず、どうにかハルビンの大学を卒業せしが、役所や大企業に就職することを得ず、現地案内人の職に甘んじて糊口を漱ぎをるといふなり。年を聞くに未だ二十代半ばに満たずといふ。

中国の女は薄情にして愛乏しければ、康康の如く家も金も持たざる男は相手にせられず、大学時代に恋人たりし女は、卒業後は他の金持男に鞍替して、音信をたちたり。されば康康も居直りて自由気ままに暮らすことにしたるなりといふ。

かかることを嫋嫋と語りて飽きず。その語るところの日本語は粗略にして発音も流暢ならず。とても大学にて日本語教育を受けたりとは思はれず。されど人柄は悪からず覚ゆ。かくして初端から面白き男なりとの印象を受けたり。

バスは現地時間午後十一時頃虹口地区なるガンドンホテル(上海粤海酒店)に到着す。チェックインを済ませて部屋に至れば部屋はツインルームにして結構ゆったりとせり。シャワーを浴びて後持参せるウィスキーを舐め十二時頃ベッドにもぐり入りたり。





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