中国を語る
HOMEブログ本館東京を描く漢詩と中国文化陶淵明日本文化ロシア情勢|プロフィールBBS




中国の元実力者が1兆5千億円の不正蓄財


胡錦濤時代に、中国共産党の最高実力者の一人であった周永康に対して、習近平政権が重大な規律違反を理由に訴追手続きをはじめた。その手始めとして、周永康とその一族が不正に蓄財した財産を没収したと伝えられたが、その金額が、日本円で1兆5千億円に上ると聞いて、筆者などはびっくり仰天した次第だ。

中国が汚職の横行する社会だということは、色々な情報を通じてわかっていたが、それにしてもこの金額はどうだ。これを札束にして積み上げたら、月と地球とを何往復もするのではないか。(ちょっと言いすぎか)

汚職というものは、金が欲しい者と利権が欲しい者との利害が一致することで成り立つ。そのためには、金が欲しい者が裁量的な権限を持っていることが必要だ。権限でも、非裁量的なものもある。そういう場合には、汚職はなかなかうまくいかない。汚職がうまくいくためには、金を欲しがっている者が、裁量的に権限を行使できることが必要だ。つまり、相手の言い分を、自分の裁量で聞いてやる、その見返りに金を貰う、それが汚職の基本的な構造だ。

今の中国社会には、利権に預かりたいと思う人間が大量に存在する一方、権限を裁量的に行使できる人間も沢山存在するということなのだろう。そういう社会は、基本的には「人治」による社会である。「法」よりも「人」の判断が優先する。その判断を、自分にとって有利にしてもらうために、汚職が生まれるのだ。

日本でもかつては「人治」が大手を振っていた時代があった。そういう時代には当然汚職も横行していたわけだ。汚職というが、それは今日の視点でみるからそういうことになるのであって、「人治」社会を生きていた人々にはそういう意識はなかっただろう。たとえば、蜀山人の雅号で知られる狂歌の巨匠太田南畝。彼は、下級役人としてつつましい生活をしていたが、大阪の銅座の責任者(蜀山人は銅の異名)と長崎奉行とを歴任した。すると俄に大金持ちになることとなった。本人は別に金を欲しがったわけではない。しかし、むやみやたらと金をくれる人々がいたのだ。そういう人々は、太田南畝の地位に投資するような形で、なにかと金を持って来たし、また、自分の言い分を聞いてくれた礼に金を持っても来た。こちらから、金を持って来いと言ったわけではない。だから、良心の呵責を感じることもない。そういう状況が、別に不自然でもなんでもない時代があったわけだ。

今の中国もそういう段階なのだろう。今回のような汚職は、規模の巨大さから、人の度肝を抜くようなすさまじさを感じさせるが、基本においては、上記のようなメカニズムによるものだ。習近平政権は、腐敗を根絶すると言っているが、根絶するためには、それを成り立たせている条件、つまり「人治」の横行を廃さねばならない。人治を改めて「法治」を徹底する。そうすれば、汚職が付け入る余地も少なくなる。習近平政権には、果してそこまでの覚悟があるのかどうか。





HOME次へ









作者:壺齋散人(引地博信) All Rights Reserved (C) 2011-2013
このサイトは、作者のブログ「壺齋閑話」の一部を編集したものである